北関東随一の「小山ゆうえんち」は本当に何もない所に出来た「遊園地」でした。
この、いずれ「小山ゆうえんち」となる土地は、昭和17年(1942年)当時は、下都賀郡桑村字喜沢海道西という一面原野に近い雑木林でおおわれた土地であり、この地を開墾したのが、創業者(初代社長)の林卯吉郎(長崎県出身)でした。卯吉郎は、戦後、満蒙の地から東京へ移り、さらにこの地(小山)へ入植・開拓し、農地を作りました。戦後の日本はまだ食料増産の時ではありましたが、林夫婦の夢は、この地で農業を営むとともに、何とかして、今大変な思いをしている子供たちの未来のために、明るい希望と夢を持たせ、心の潤いと楽しい笑顔を与えたいという事でした。思案の末、大衆の為の憩いの場所と次の世代を担う子供たちの幼児教育ができる場所を創り、提供することを決心しました。それは昭和24年(1949年)のことでした。昭和29年(1954年)に、雑木林を開墾したことと、自分の名からとった林を取って「静林幼稚園」として幼稚園を開園致しました。
この後に、遊園地構想が着々と進み、四季折々の花の名所を造ることと、訪れる人達に心の安らぎを与える憩いの場を提供したいと思いが実を結び、昭和35年(1960年)5月15日に「小山ゆうえんち」が仮オープンすることとなりました。当時はまだ手作りの遊具機6種と粗末な食堂のみでしたが、園内には四季の花が咲き誇り、花卉等が多く、同時に、バラ、ツツジなど2000株を植え付け、見事な遊園地を作り上げたのでした。
昭和35年(1960年)に誕生して、平成4年(1992年)に思川観光(株)・小山ゆうえんちが経営不振にて閉園となりましたが、会社更生法で、平成17年(2005年)の閉園まで営業は継続していました。開園していた期間の、遊園地・スケートリンク・ボウリング場・ヘルスセンター・等の利用者は延べ2500万人を超えると推測されます。永く親しまれた「小山ゆうえんち」の歴史は、多くの人々の心に残り、当時の家族連れの人たちの溢れるほどの笑顔と、楽しい思い出、レガシーとして今でも刻まれています。
平成14年(2002年)8月8日に開場した小山思川温泉は、小山ゆうえんちの最後の事業としてオープンしました。経営も変わりましたが、変更後の株式会社小山温泉のご厚意で、創業時の姿の一角が、メモリアルエリアとして思川温泉の入り口にあります。レガシー・聖地として、後世に残せるようにとのご協力で実現しました。メモリアルエリアには、昭和35年(1960年)に新機種として導入したティーカップ2台などが展示してあります。当時の「小山ゆうえんち」を偲び、楽しい思い出のレガシーとして、開園当時からある、松・モミジ・桜の3本の樹木と共に、永く遺して、伝承していきたいと思っております。
小山ゆうえんち空撮 1994年
昭和35年5月 林卯吉郎が小山ゆうえんち開園 昭和47年7月 大型遊具機を導入
昭和40年11月 国際規格屋内スケートリンク完成 昭和48年8月 双翼飛行機ダグラスDC3展示
昭和41年4月 ヘルスセンター・ストハウス完成 昭和54年4月 ショッパーズシティー(キーテナントダイエー)完成
昭和41年7月 複線式ジェットコースター完成 昭和54年11月 日光市屋内スケート場完成
昭和41年11月 ボウリング場24レーン完成 昭和55年3月 モノレール・スーパートレイン設置
昭和41年-43年 つづじ人形展示 昭和55年8月 シャトルループ他大型遊具機2基設置
昭和43年4月 小山タワー(120メートル展望完成 昭和57年11月 スポーツプラザ・アメリカンビレッジ完成
昭43年-平3年 菊人形展示 昭和60年3月 つくば万博星丸ランドで周遊列車営業
昭和45年7月 サボテン苑完成 昭和63年7月 水族館完成
昭和47年7月 海浜プール完成 昭和64年 沖縄アイランドパーク完成
企画製作:エーシー・エージェンシー株式会社
代表取締役 青木 重雄
有名なテレビコマーシャルの曲『小山ゆうえんちの唄』は、最新の2003年バージョン(小山温泉思川バージョン)は小山ゆうえんちオフィシャルサイト内でも公開されておらず、歌詞の詳細は不明である。この曲は、かつてテレビコマーシャルに出演していた桜金造の持ちギャグの1つになっているという説もあるが、詳細は不明である(テレビコマーシャルに桜が起用されたのは、ギャグが受けてゆうえんち側が「宣伝になる」と依頼したからである)。同曲は2005年の閉鎖まで園内の一部でBGMとしてラジカセで流されていた。